日々是考察

「考えること」を生業とするため、日々のあれやこれやを考えます。

仕事でのカタカナ英語について考える

仕事には、カタカナ英語が氾濫している。

専門用語ならば、仕方がないと思いつつ、そのまま受け入れる。

 

しかし、「エビデンス」とか「フィックス」など、日本語でも別に良いのでは?と思うものについては、話が別。

エビデンス?『根拠』でいいでしょ」

「フィックス?『決める』とか『決定』でいいじゃん」

と、仕事の最中、私は心の中で密かに毒をついている。

 

そうして、思いを馳せる。

最初にそれらの言葉を日本のカタカナ英語として導入した人々は、どんな気持ちで言葉を使ったのだろうかと。

 

単純に格好良いから?

周囲が使っているから?

それとも、日本語には適当な訳がなかったから?

 

私の妄想は止まらなくなるが、日本語でも訳せるものをカタカナ語そのままで使う理由って何だろうと考えた場合、上記の他に「カタカナ英語で、相手が受け取るイメージを印象的なものにしたい」ことも挙げられると思う。

 

例えば、「納期を決定する」と「納期をフィックスする」を比較してみよう。どちらも同じ意味だが、「納期をフィックスする」は、「納期を決定する」の「決定する」よりも「フィックスする」に一段高いところに意味のアクセントが入っている印象を受ける。初見だと、意味が分からないから印象深いこともあり、尚更そのように感じるだろう。

 

こうして眺めていると、カタカナ英語を使って仕事をしたくなってくるかもしれない。しかし、カタカナ英語の使用は最小限に留めていただきたいのが私の本音である。これ以上は、不要なカタカナ英語を増やされると、その意味を覚えるのにわざわざ脳のリソースを割かなければならないのは面倒なのだ。それに、カタカナ英語の氾濫は単純に仕事がやり辛い。

 

仕事において何でも日本語でとも言わないが、最近カタカナ英語が増えすぎていないかとも考える今日である。