シェアリングについて考える
シェアリングとは、物・サービス・場所等を色々な人と共有する社会的な仕組みのことを指す。その具体的なサービスを挙げると、ココナラ、メルカリ、Ubar Eats等がある。
このシェアリングを利用したサービスであるが、世の中が安定している状態で初めてできるものだと痛感する。なぜなら、世の中が不安定になると、人は自分だけのものにしたくなるからである。
共有するとは、対象となる個人間、もしくは世の中が安定しているからこそできることなのだ。
異論はあるだろうが、そんなシェアリングの究極形態はグローバリゼーションだと私は考える。グローバリゼーションとはWikipediaによると、「社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大してさまざまな変化を引き起こす現象」である。動機はどうあれ、自国以外にも生産拠点を世界に作って生産することは、ある種のシェアリングだと捉えることができる。
そんなグローバリゼーションが、現在コロナ禍や政情悪化などで崩れつつある。先に述べた通り、世の中が不安定になると、人は自分だけのものにしたくなるからである。要するに、囲い込みが始まっているのだ。
それと同時に、文化上の衝突や摩擦など、グローバリゼーションが持つ課題も噴き出している。
現在の諸問題の多くが、一度グローバリゼーションという仕組みを用いてシェアしたからこそ、現状のようになっているのが辛いところである。
これに対して、私たちはどうしたらよいか?
一つの方法として、一度問題を事実のみで確認できるまでにバラバラにしてから、解決する糸口を探すことが挙げられる。膨大な手間がかかるかもしれないが、一つ一つを小さくすることで、解決できることもあるのではないかと私は思う。